この度は、東日本大震災の被災者の皆様へ物資援助に御協力下さいまして誠に有難うございました。心より感謝申し上げます。

前回4月の第2回支援に引き続き、同月、被災地である宮城県の牡鹿半島まで第3回支援団が行って参りました。御協力下さいました皆様に、本会よりの感謝と共に、出来る限り現地被災者の皆様のご様子とお声をお伝えできればと願い作成致しております。

この度も、皆様の御提供下さった援助物資をお渡しした際には、被災地の皆様から時に歓声があがり、時に「正にこれが必要でした」と沢山のお言葉を頂戴しました。支援団も今回で3回目を迎えますが、被災地を後にする時、瓦礫に囲まれたデコボコ道を車に揺られながら、牡鹿半島の美しい海を望む度、私達メンバー皆に同様に訪れる「想い」があります。

それは、まるで「故郷に年老いた母を残してくるような想い」とでもいいましょうか。また次に訪れる時まで、どうか無事であって欲しい、笑顔になって欲しい、元気であって欲しい…と込み上げる想いと涙は、日常生活に戻った後も続いています。

今回、被災地の方々とお会いして伝わって来たのは、色濃い「疲労」ではなかったか、と思われます。避難所の方々とお会いする度、別れる度、多くの方々が思わず泣かれていました。

避難所にいながら被災者の仲間達を力づけようとされている方、また津波を免れた自らの家を避難所として提供されている方々、責任感と思いやりの強い方々ほど、より辛い思いをされていることが忍びなく感じられることが多々ありました。

「復興したら、世話になった人達を皆よんで釣り大会をしようっちゃ」自らを奮い立たせるように未来を語る、世話役の漁師の方。

「この地域にボランティアの人達が訪れたのは初めてです。皆さんが来てくれたのを見て、今までの自分の人生の中でこれ程の喜びはありません」と語って下さった地元のお寺の方。

その方に、この冊子をお見せした時、その中の写真を見て「ああ、この人を知っている」と。それは、今回お目にかかれなかったある避難所の86歳のご婦人でした。私達が訪れるよりも少し早くに故郷の島に帰ってしまわれ、お会い出来なくてとても寂しかった事をお伝えすると、お寺の方は「この町の皆が、どんどん親類などを頼って外に出て行きます。昨日も古い友人を一人見送りました。

皆、もう二度と帰ることはないでしょう」と涙をこらえて語ってくださいました。地震と津波からひと月以上が経った今、必要なことは「希望」であると痛感致しました。今後も多くの皆様の御理解の下、継続的支援を行って参りたいと存じます。

御協力下さいます方は是非に御知らせ頂ければ幸いです。重ねましてこの度のご理解とご協力に深く感謝申し上げます。震災の方々に一日も早く平安な日々が訪れることとご支援下さった皆様の御多幸を心よりお祈り申し上げ茲に御礼と代えさせて頂きます。