支援メンバーの目に映った現在の被災地についてお伝えします。

「沿岸部は人の気配が殆ど感じられない印象です。仮設住宅に住む人の大部分が都市部に移る事を目標にし、地元に人が戻って来なくなっている現状です。どんどん過疎が進んでいる様です。時間が止まってしまったような閉塞感も感じます。ガレキの撤去と壊れた家の解体はほぼ終わり、震災当時の面影は無くなっていますが、そのまま放置されていて手付かずになっています。
稀に新築の建物やお店が立っており、そういった場所からは、復興の拠点になろうとしている意気込みを感じ数少ないお店は大繁盛の様です」

震災後ずっと支援している被災地の皆さんから届く声も、やはりこのメンバーの言葉のように、復興の長い道のりを感じさせるものばかりです。現地では漁業を生業とする人達が圧倒的に多く、津波の影響で家業を継続出来なくなってしまった人達が多数います。

その為、経済的困難から就学が困難となった子供達に対し、支援を継続していますが、その一人であるM君の母校にメンバー達が訪れました。

「生徒達に新しい辞書で学習する機会を与えたい」という学校の教諭達の要請を受け、今回メンバーは20冊の真新しい辞書を贈呈。うち6冊はご理解頂いた出版社からの献本でした。

震災後復旧したばかりの道を通り、初めて牡鹿半島に支援に行った際、寒さの中テントを張り拠点としたこの中学校はメンバーにも思い出深い所です。

校長室にて、教頭と教諭に直接辞書を手渡すと「国語担任が子供達にこのような最新の高度な辞書に触れさせたいと言っていました。本当に有難うございます。大事に使わせて頂きます」と喜びの声を聴く事が出来ました。

またこの日は図書室を見学。蔵書の脆弱さから、学校から要望の出た図書支援も現在検討中です。

この日は、ちょうど我々の支援するM君や、その仲間達が卒業後初めて再訪し、教諭達も本当に嬉しそうでした。

M君は今、下宿の三人と高校の校門が閉まるまで自主トレをやっていること、その後、夜遅くまで勉強して数学の成績が学年で三番になったこと、苦手で爆弾と言われていた英語が中位くらいになって小爆弾になったな(笑)等と教諭から冷やかされ、愛情あふれる楽しい懇談の時が過ぎました。

「あの震災で、子供たちの心の中で何か変わったものがありますか」とメンバーが質問したところ教諭から返って来た答えはこのようなものでした。

「あの子達にとって表面上は特別な変化はないかもしれません。しかし外部の環境がまったく変わった。今まで閉鎖的な社会にいた子供たちも否応なく外から入ってくる環境を受け入れざる得なくなった。皆さんのようなボランティアも沢山やって来た。あの子達は、この事を理解して、自らこの環境を受け入れて変わっていきました。M君達はその先駆けです。その下の学年達とは明らかに違います。M君達の学年は私にとっても特別です」と語りました。「M君はきっと大化けする」の言葉に、教諭陣にとっても震災の年に卒業していった生徒達は、強く印象に残り、試練を乗り越えてゆく特別な使命を持つ子供達という気持ちが伝わって来るようでした。

M君のご両親もこの日はメンバーの来訪を喜び「Mは自分達だけの子供じゃない。皆の子供なんですね」と。

津波で故郷の街が一瞬にして壊れ去って行くのを目の当たりにした子供達。悲しみと絶望の中にありながら勇気や信じる心を彼らは育んでいます。

学校からは今後の協力要請も受けています。私達だからこそ出来る支援を続けて参りたいと思います。

中学校の後、食糧支援をするKさん宅を訪問。浜はセシウムの影響が出て魚漁ができない状況です。それでも採れた魚は現地の方々がその影響を了解の上で分けているとのこと。

何かをしなければと、いまはタコ漁を考えているが、なかなか道具(籠)が手に入らないとのことです。他の漁師も同じことを考える為、道具の供給が追いつかないのかもしれません。堰を切ったように話すKさん。

よく電話やメールをしてくれるKさんはじめ被災地の方々の心をこれからも皆で支えて行きたいと願います。