2011年3月11日に発生した東日本大震災の支援活動で、道路開通後も、ボランティアが敬遠して支援が行きわたっていない牡鹿半島に、4月10日~13日、トラック2台で再度向かい、引き続き皆様から頂いた物資、および、前回、現地で直接聞いてきた要望の物資を援助し、炊き出しを行なって参りました。

ご協力頂きました企業や個人の皆様の気持ちも一緒に届けて参りました。

皆様の暖かいご協力、本当に有難うございます。


東日本大震災支援報告


この度は、東日本大震災の被災者の皆様へ物資援助に御協力下さいまして誠に有難うございました。心より感謝御礼申し上げます。

4月10日(日)夕方出発~4月13日(水)、第二回支援団が被災地である宮城県の牡鹿半島まで行って参りました。

今回は、数日前の再度の地震により、第一回の時にも増して亀裂が多くなった悪路を辿りつつ、やはり片道12時間ほどをかけての支援となりました。第一回の3月30日の支援より今回までは非常に短い期間であったにも関わらず、大変多くの企業の方々や本部周辺の住民の方々よりご理解を頂き、メンバーの家族や仲間達、皆非常に多くの方々のご協力を得て、トラック2台分の援助物資を携え、被災地へ向かうことが出来ました。ご支援下さいました皆様には、暖かなお心に深く感謝申し上げる次第です。本当に有難うございました。

第一回の支援団にて、「援助の手が届いていないところへ」ということで、牡鹿半島の先端へ向かった時自衛隊の方々のみが物資を運んでいるような状況でした。今回は、単独で現地援助のコーディネイトを行う青年や、自ら被災しながらも各家屋から出られないご老人等の援助に回る男性、彼と協力しながら援助をしている外国ボランティアの方など、3名のボランティアの方と出会い、夫々の見た地域の情報交換をすることが出来ました。

現地は、まだまだ不足しているものばかりです。首都圏より遠く離れれば離れるほど、援助の手は行き亘らぬ状況であることを実感致します。瓦礫の撤去の人出の不足をはじめ、特に、今回私達が直接訪問して浮き彫りにされた実情としては、民家の避難所への物資援助の不足、また病院や施設などで働く方々の過酷な生活状況です。

患者の方々や被災者の方達を優先する為、職員の方々が不眠不休で物資も受け取らずに実は大変不自由な状況のままであったり、民家に避難者が集まる場所では、被災者の方を保護する為に、民家の住人の方々が自らの家の物資を提供し、自分達自身の生活がままならなくなっていたり、と、ご自身が被災しているにも関わらず、その個々人に余りにも大きな負担がかかっています。役所の方達もまた同様です。自らが我慢をして他を助けようとする思いが多くの方に共通していることが感じられました。

どの地域も住民の方々が頻繁に訪れる余震に怯えながらも助け合って辛抱強く日々を送っています。日本人の魂が改めて其処に実感される思いでした。

今回の震災の後、我々日本人には再びと「民族」という意識が芽生えたように思われます。私達もまたこの支援に離れた家族に会うような思いを抱いています。これからも支援団として皆様の応援のお気持ちを現地に届け、行政の行き届かぬ所に、民間だからこそ出来ることを行って参りたいと思います。

御協力下さいます方は是非に御知らせ頂ければ幸いです。重ねましてこの度のご理解とご協力に深く感謝申し上げます。

震災の方々に一日も早く平安な日々が訪れることとご支援下さった皆様の御多幸を心よりお祈り申し上げ茲に御礼と代えさせて頂きます。