東日本大震災被災地支援報告 vol.05 2011年06月(牡蠣の仕掛け作り作業、船倉庫作業)
この度は、東日本大震災の被災者の皆様へ物資援助に御協力下さいまして誠に有難うございました。心より感謝申し上げます。
3月から開始した本支援も既に5回目を迎えました。これまで無事に支援活動を続けられましたことも、ひとえに皆様の暖かな御気持ちの御蔭と心より感謝申し上げます。誠に有難うございます。
まだ現地に入ったばかりの頃、寒さに震えつつテント泊を繰り返した季節とはうって変わって、今はもう夏も目前です。この数か月間ほど、人と人との繋がりを強く感じたことはあり ませんでした。我々はその到るところに優しさや思いやりや底力といった日本人の精神を見出す体験をしました。
被災地支援の為の援助物資のお願いの電話に快く応じて下さる方々の中には、「人ごととは思えない」と、物資の無料提供や安価での御提供に協力をして下さった方が何人もいらっしゃり、また「親類も被災しているので」とより一層の想いを込めて、沢山の衣類をお送り下さった方々もいらっしゃいました。毎回、多くの物資と共に、皆様のお気持ちをトラックに乗せて、私達は、支援する牡鹿半島へと届けることが出来ました。
そして、被災地を訪れる度に、その光景に胸が痛み、また東京に戻る度に、その光景と共に被 災地で助けを待っている沢山の方々のお顔が浮かび、皆、たまらない気持になる・・・その繰り返しだったように思われます。
先日、メンバー同士でふと打ち明け話になり「実は、第1回支援の後は、大泣きに泣いた」と、女性だけでなく男性のメンバーまでもがそう語っていました。どうしても涙が止まらなかったと。あの破壊され尽した瓦礫の大地の風景、そして耐えに耐えていた被災地の皆さんの表情・・・。
それは感情というよりも私達の魂そのものから流れ落ちる涙だったような気がします。支援を続けている地区には、未だご家族が行方不明という方もあります。大切な人を亡くされ、しかし心を奮い立たせていらっしゃる方もあります。その想い如何ばかりかと、察しても尚あまりある辛さを多くの方が抱えていらっしゃいます。
3月末、まだ泥と瓦礫の中にあった石巻市は誰一人道行く人を目にすることの無い程の荒れ果てた惨状でした。しかし、支援に訪れる度、街はその姿を変えて行き、第3回支援の際、復旧した信号機に従って横断歩道を渡る人々と自転車を目にした時、移動する車の中では、メンバー達の悦びの声が上がりました。
そして牡鹿半島に入り、ある浜に浮かぶ十数艘の船を観た時のあの胸のすくような感覚は言葉にはし難いものでした。青空を映す海の上に舳先 を揃え浮かんでいる真白な船たち。まるでそれは浜の人々の誇りであると言わんばかりに、気高く美しく見えました。「負けない」というその心が、一直線に伝わって来るようでした。
どうぞ皆様今後とも御協力頂けます方は御力をお寄せ頂けましたら幸いです。重ねましてこの度の御理解と御協力に深く感謝申し上げます。東北の力強い復興を祈願致しますと共に、御支援下さった皆様の御多幸を心よりお祈り申し上げ茲に御礼と代えさせて頂きます。