東日本大震災被災地支援報告 vol.23 2013年03月(漁業復興支援の牡蠣が実る)
3月11日、東北大震災から丸3年を迎えます。被災地の人々だけでなく、日本全国が大きな衝撃に包まれたあの日、津波の後の被災地には雪が降っていました。
震災間もなく、着のみ着のまま何も持たずに命からがら避難した人達や、瓦礫に囲まれた中に残った家々に肩を寄せ合って凌いでいた被災者の方達へと、幾度となく大量の援助物資をトラックで届け続けた日々もありました。当時、街中では自衛隊の車に数車出遭うのみで、寸断された道路を牡鹿半島に渡ろうとした我々が見た風景は、大きなビルが根こそぎもぎ取られ、ひしゃげ、横転した無残なものでした。絶望とはこのことかという、嗚咽をかみ殺したメンバーの震える声が響きました。
支援の内容は、現地の復興のための需要に合わせ、緊急の物資支援から、次に漁村の復興支援、現在は子供支援となりましたが、船も失ない、地盤沈下のため船をつけられる浜も失なった被災地のために、牡蠣の種付け作業を毎週大量の人員を代わる代わる動員して、まだ東北に寒さ残る頃から汗をかく初夏まで行ないました。日本全国から賛同する登録メンバー達が集い、自らの仕事も顧みずに、必死で作業した日々でした。
先日、その皆の協力によって種付けされた牡蠣が、見事収穫されて、送られて来ました。収穫したのは、支援している高校生M君の両親。
「皆さんが、あの時汗をかきながら作業してくれた牡蠣が採れたと報告したかった。皆さんがやってくれた牡蠣を食べさしてあげたいなあと思って送りました。
皆さんと一緒に顔を見ながら食べたかったです」と語ってくれました。
「あの時の皆さんのことは忘れない」と。現地ではようやく今年生産加工処理場が復活する予定。これで出荷が出来るようになるとのこと。
M君は現在、腰を悪くしてサッカーが出来ずにいるとのこと。「息子にも本当によくして頂いて有難うございます」とのことでした。
一方、震災当時、支援物資を配りまわった際、小さなお宅に30数名の避難者が暮らし、その情報が行政に知られていなかったために、何の支援物資も届いていない場所がありました。この家では、津波で漁具が全滅し家計を支える目途が無く食料も手に入らなかったため、食糧支援を続けて来ました。
この家の主婦Sさんらは、昨春には、資材代が少なくてすむワカメの種つけを始めましたが、残念ながら風が強いしけの日が多く、漁の収穫も少なかったため、収入が得られず、今年もまたワカメに挑戦するとのこと。「これからまた食べて行けるのだろうかと、いつもお父さんと話しています」と。
先日は「3月からワカメの作業が始まります。メカブが大きく育って要る事を願って・・・今年はここから光りが少しでも見えて来れば良いかな。頑張らなくちゃ p(^^)q 又 連絡します。皆さんに宜しくお伝え下さい」とメールが来ました。
この地域の現状は、瓦礫は撤去されているものの、あまり変わっておらず、漁の出来ない人達が土方仕事に転向していると共に、子供達が高校入学と共に市内等に一緒に移り住む家族が多いため、どんどん過疎化しているそうです。また、震災以来土地の値段が急騰し、仮設住宅を上の方の土地に移設するという行政の仕事もなかなか進んでいないとのこと。厳しい状況は続いています。
引き続き、子供支援を主として、被災地を応援して参ります。