被災地の光景 vol.02 2011年04月
今回訪れた牡鹿半島の先端にある美しい場所。鮎川、小渕、給分、それぞれの浜は今も瓦礫の山となっています。
瓦礫の中の到る所に、どこかの家の部屋にかかっていただろう時計、誰かの履いていた靴、手紙、写真、等等、沢山の物が点在していました。ある避難所の方は、ご自分のお孫さんやご家族の記念写真を家とは反対側の山の方の方が拾ってくれ、手許に戻ったとのことです。一瞬にして全てが無くなった3月11日。
この日から丁度ひと月が経った今も、浜にはやはり沢山の瓦礫があり、しかし、その風景を前に遊ぶ子供達の姿や笑顔には大人達も大変勇気づけられるものがありました。鮎川に到るまでの道路は、前回の第一回よりも沢山の亀裂が入っていましたが、電柱が立ち、場所により電気が通ったところもありました。
今回訪れた牡鹿半島の先端にある美しい場所。鮎川、小渕、給分、それぞれの浜は今も瓦礫の山となっています。
瓦礫の中の到る所に、どこかの家の部屋にかかっていただろう時計、誰かの履いていた靴、手紙、写真、等等、沢山の物が点在していました。ある避難所の方は、ご自分のお孫さんやご家族の記念写真を家とは反対側の山の方の方が拾ってくれ、手許に戻ったとのことです。一瞬にして全てが無くなった3月11日。
この日から丁度ひと月が経った今も、浜にはやはり沢山の瓦礫があり、しかし、その風景を前に遊ぶ子供達の姿や笑顔には大人達も大変勇気づけられるものがありました。鮎川に到るまでの道路は、前回の第一回よりも沢山の亀裂が入っていましたが、電柱が立ち、場所により電気が通ったところもありました。
石巻市内に入ると景色は一変。大きな船が家に突っ込んでいました。前回の支援で訪れた時よりも異臭が強くなっていました。
津波に遭ってから1ヶ月。場所によって水につかっているところが沢山ありました。(石巻市内)
石巻市立渡波中学校の校庭。車が乗り上げている風景は第1回支援時と変わっていませんでした。
水浸しの市内の道。何台もの車がこのガタガタで荒れた道を行き来していました。
鉄筋コンクリート製の建物だったためか、残っている建物。周辺の建物はバラバラで跡形もありませんでした。(石巻市渡波地区)
ガソリンスタンドに突っ込んでいる家や車。津波から1ヶ月経った現在も変わらずこのような状態でした。(石巻市渡波地区)
石巻市内にて。建物が崩れ上部が落ちている。津波の威力を伝わってくる何ともいえない光景でした。(石巻市渡波地区)
牡鹿半島に向かっている途中の光景。浜近くの家は全壊していました。(石巻市牡鹿半島内)
堤防近くの家の光景。跡形もなく崩れ去っていました。(石巻市牡鹿半島鮎川地区)
津波がやってきた時間あたりで針が止まっている時計。生々しさが伝わってくる。(石巻市牡鹿半島鮎川地区)
自転車、または携帯電話などさまざまなものが辺りに散らばっていました。地元の方々の中には鏡など必要なものはと自宅にとりにいっている方もいました。(牡鹿半島鮎川地区)
石巻市牡鹿半島内鮎川地区にて。いたる所に漁で使っていたであろう漁船が乗り上げていて、すぐに動かされるような様子は見られませんでした。
自衛隊が道路から退けて積まれているのか、津波のせいなのか高く積まれた瓦礫。復興の為にどれだけの時間と労力がかかるのか。物資の次にマンパワーが必要だと役所の方が言っていました。(石巻市鮎川地区)
浜近くに残っている家の中には誰の姿もありませんでしたが、陸内に残っている家の中には2階に住んでいる人もいると、地元住民の方が言っていました。安否が気になります。(石巻市鮎川地区)
観光の文字が見える看板。美しい海を観るために人々が訪れていたことがよくわかる風景でした。(牡鹿半島内)
観光の文字が見える看板。美しい海を観るために人々が訪れていたことがよくわかる風景でした。(牡鹿半島内)
建物が残っている郵便局。(牡鹿半島内)
瓦礫の中に横たわっているボロボロになったぬいぐるみや靴。日常の生活が壊されてしまったのだということを強く感じさせます。(牡鹿半島鮎川地区)
目にする全ての風景が痛々しいものでした。日々の暮らしが一瞬にして連れ去られてしまいました。(牡鹿半島内)
陸地に乗り上げられた船。漁師が多いこの地区の人々の今後の生活がとても気になります。(牡鹿半島内)
崩れ去った家々を目の前に佇む方々。鯨の燻製をすすめられました。悪くなるからと電気のこない冷蔵庫から出して食べているとのことでした。(牡鹿半島鮎川地区十九成浜「憩いの家」)
どれだけ進んでも瓦礫が続く景色。しかし何度みても信じられない景色でした。地元の方々も夢であって欲しいと思う、と口々に語っていました。(十九成浜「憩いの家」近く)