東日本大震災被災地支援報告 vol.10 2011年08月(こども支援)
震災から5カ月。市内の瓦礫は一層すっきりとしていました。その代わり市内の高校の校庭に集められた瓦礫の山は一層高さを増していました。初めてこの地を訪れた時の景色を思い出し、「人は傷ついても立ち上がり前に進んでいくものなんだ! 」と熱くなるものが。
牡鹿半島へ向かう車は過去の支援の中で一番の多さでした。当初訪れた時の自衛隊しかいなかった風景と違いお盆で帰省する人々が多く見られました。
まずは野菜を介護老人ホームへ。職員の方々は震災の際、沢山のご老人を 抱え、自分達も被災したにも関わらずご老人を優先し公私の境なくずっと働いてきた方々でした。少し離れた所に一軒だけ食糧を買えるコンビニがあるものの18時に閉まる為買い物に行けず困っているとのことでした。野菜を持って行くと「また頑張れます。有難うございます!」と。支援メンバーから送られた絵手紙も渡すととても喜ばれました。
個人宅避難所にも野菜を届けると、いよいよ被災した子供たちの調査を開始しました。
調査を行なっていると、様々な境遇に置かれた子供たちの姿がありありと浮かび上がってきました。その1つに消防団だった為、海沿いの水門を閉めに行ったまま亡くなった父親。そして奥さんと子どもさんが残されたご家庭がありました。
調査終了後、その水門の場所に足を運んでみることにしました。水門はチリ沖地震を想定しつくられたもので、とても低かったです。すると水門の近くに、お地蔵様が五体並んでありました。メンバーが手を合わせていると、現地の方が通りかかり「子供がいるんですか?このお地蔵様は有名なんですよ。子供を守るお地蔵様なんです」と。
「被災した子供の調査に来ていたからこの場所に導かれたの かも知れないね」メンバー一同、これからの支援にどうぞお力添えをお願い致します、と再度手を合わせました。

老人ホーム職員に野菜を届けました。

個人宅避難所のお宅で被災した子どもたちの聞き取り調査を行ないました。震災から5カ月経った今、厳しい現実がのしかかっているようでした。

老人ホームの所長さんから震災当時の話を聞きました。

場にて被災した子どもたちの情報をいただきました。

被災した子どもたちの調査のために訪ね歩くメンバー。最初に訪れた時と違い瓦礫の山がなくなり随分見違えました。

震災から5カ月経った牡鹿半島の港。

牡鹿半島の港の風景。まだまだ水没している道路が見られた。

牡鹿半島内の仮設住宅。これからの皆さんのこの場所での生活が少しでも快適なものとなりますように。

個人宅避難所の方の所へ支援物資の野菜を下ろし終わり一緒に撮影。

メンバーの手書きの絵や絵はがきを渡しました。職員のみなさんは「今はこういう時期なので心を癒してくれるこのような物が必要なんです」と。

被災当時は自分たちをかえりみず公私の境なく老人の皆さんの世話をされていた老人ホーム職員の皆さん。まだまだ大変なことはあると思いますが心から応援しています!