早朝に塩釜市場でカツオなどの魚や乾物などを購入し、前回同様、石巻の八百屋にて野菜を購入して現地へ届けました。災害の折は津波によって塩釜の周囲の市場はやられていまい塩釜市場そのものは無事だったものの、魚は入ってこなくなったため、保冷していた魚を市場の外にテントを張って売り出したところ、大変喜ばれた、と市場の方が語ってくださいました。

被災地へ魚を届けると、皆さんとても喜ばれていらっしゃいました。カツオの一本釣りをやっていたある漁師の方が、その持って行ったカツオを目の前であっという間に捌いてくれ、食べさせていただくという場面もありました。その捌いている漁師の方の姿は自信に満ちて本当に活き活きとされていて、輝いていらっしゃいました。

また、前日に引き続き牡蠣の種付けの仕掛け作り作業(ホタテの貝殻を針金に通す作業)
をお手伝いしました。

通常ホタテの貝殻に小さな穴が空けてある加工がほどこされているものを仕入れ、それを使って作業を進めるのですが、加工されているものが震災の影響で品切れしているため、加工前の貝殻を仕入れ、それらを地元の女性陣が穴あけをして、それを私たちが針金に通すという手順で作業を進めました。

さらに今回はフォークリフトの第1号機を贈呈致しました。業者の方に急ピッチで作業を進めていただき、この日に贈呈することができました。美しい青に装飾されたフォークリフトはきっと浜の復興に大活躍してくれるはずです。

海岸で行なわれた贈呈式で読み上げられた会長の言葉に皆、涙を流されていました。「頑張らなくていいから負けないで!!」の言葉に地元の方々だけでなく私たちも深く心が揺さ振られました。浜の皆を支えたいとただ思いました。
その後の宴も大いに盛り上がり、その様子は今後の浜の復興を象徴するかのようでした。




東日本大震災支援 物資・作業援助

塩釜市場は大変活気づいていました。皆さん明るく力強さがありました。カツオなど新鮮な魚を購入することができました。

東日本大震災支援 物資・作業援助

石巻市内の八百屋さんで野菜を購入しました。沢山の野菜を前回同様、牡鹿半島まで一緒に運んで下さいました。感謝です。

東日本大震災支援 物資・作業援助

世帯ごとに野菜を分けているところ。しっかり栄養を摂って英気をって下さい。

東日本大震災支援 物資・作業援助

このホタテの貝殻1枚1枚の仕掛けに牡蠣が着床させる。(7月の放卵時には5,000近くの仕掛けを投入し見事着床に成功!よかった!)

東日本大震災支援 物資・作業援助

屋根代わりのブルーシートが張られた作業場。皆のやる気で熱気が溢れていた。このホタテ1枚1枚が全て仕掛けに変わり、それらが牡蠣に変わる日が来ることを想って。

東日本大震災支援 物資・作業援助

泥だらけだった船倉庫が綺麗になり作業ができるように。細かな作業が続く。ひたすら集中!

東日本大震災支援 物資・作業援助

震災直後、浜では大きなSOSを書いて助けを待ったという。その新聞記事。そして私達が初めてこの浜をトラックで訪れたた時、「初めて助けに来てくれた」と泣いていた浜の女性の涙は今でも忘れられない。

東日本大震災支援 物資・作業援助

ひたすら、皆で黙々とただ作業。このロープも、殻刺し(牡蠣の種着床のホタテ貝殻の仕掛け)に欠かせない。

東日本大震災支援 物資・作業援助

サンマ漁の船の明りの修理。沢山の電球に、一つ一つ配線していく。「大漁」を願って!!

東日本大震災支援 物資・作業援助

「希望」「負けねえいっちゃ給分浜!」「夢」の幟旗。風にたなびく姿を見て、「かっこいー」と言われていた漁師さんも。負けずに、今は前進あるのみ。仕掛けつくり作業も踏ん張りどころ。浜の皆の声に応えて「移動八百屋」提案あり皆で相談検討中。仮設住宅入居後から開始決定!

東日本大震災支援 物資・作業援助

浜は満潮で水が流れ込んで来たため浜入り口にてフォークリフトの贈呈式を行ないました。耐えに耐えて来たこの3カ月。浜の皆さんからは堪え切れず涙が。私達は何か見えない「縁」で繋がれているのでしょう。本当に皆を応援したい!

東日本大震災支援 物資・作業援助

テープカットを行ないました。これを機に浜の復興、延いては宮城、そして日本の復興に繋がることを願っています。

東日本大震災支援 物資・作業援助

贈呈式後に浜で会食を。踊ったり歌ったりする場面もあり大変盛り上がりました。「本当に久しぶりに笑ったよ」と皆さん。

東日本大震災支援 物資・作業援助

フォークリフト入場。この青色のフォークリフトが大活躍してくれることを願って皆、力強い拍手で迎え入れました。

東日本大震災支援 物資・作業援助

贈呈式場で皆で摂った1枚。浜入り口スロープ上で行なったため地面が斜めになっている。後ろに見えるのは船に張られた横断幕。式は皆さんの魂の歌とでも言うべき演歌をバックミュージックに行なわれました。皆のやる気が溢れていました。